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ドッグトレーナーの犬について考えるコラム①犬を飼うということ~犬との出会い、その意味~

コラム

2020年から世界中を巻き込んだコロナウイルス。
それに伴い、所謂「おうち時間」が増えたことで、日本のペット飼養率が高まったと言われています。

その背景にはやはり、人間のストレス(=外食ができない、家が退屈、旅行に行けないから他の楽しみを)があるのではないかと思います。

おうちでの時間をより楽しく過ごせるよう犬を迎えるご家庭も少なくないはずです。

一方で、安易な気持ちで犬を迎えてしまい、飼い主の理想と違うからと手放されてしまう犬たちが多いのも現状です。

ここで考えたいことは、
「何故私たちは、古の時代から犬を飼い続けているか」
ということです。

私がかつて拝読したイギリスの文献には、「人はかつて野生であったオオカミの中で、人間に懐いてきた個体のみを人間のコミュニティに入れ、共に暮らした。」といった記述がありました。

これは逆を言えば「オオカミと人間とは相容れない、しかし中には理解しあえる個体がいて、それは仲間といえるくらいの存在となった」とも言えます。

確かにヨーロッパの昔話にはしばしば「オオカミ」が「悪者」として登場してきます。

ところで、この人間と相容れなかった個体がはたして「悪者」だったのか?を考えてみましょう。

「人間」とは私たちすべての人類ではなくある特定のコミュニティのことだと推察できます。
それがある「家族」なのか、「村」なのか、はたまた「町」なのかはそれぞれだと思いますが、少なくとも「地球上のすべての人間」がというわけではないと思います。
でなければとっくに私たちは「オオカミ≒犬」と暮らしを共にしていないでしょう。

つまり、ある個性を持った個体がいたとして、その個体があるコミュニティと相性が良いのかは結局は個別の事案であると言えます。

言い方を変えると、Aという個性を持った犬を欲しているaという家族がいて、その家族aにとってはBという犬はマッチしない個体であり、場合によっては「悪」とされるケースがある。

とうことです。

これは昔話ではなく、現代においてもしばしば発生していることだと思います。

皆理想を描いて犬を迎え、各々の理想を抱いて犬を飼育しますが、どこかでうまくいかないと、
「なんでうちの子がこんな問題犬になってしまったんだろう」
「こんなはずじゃなかった」

と不満を抱かれます。

そんな不満を抱いたあなたの犬は果たして「悪者」でしょうか?

私の経験上、生まれつき悪魔のような犬は今現在見たことがありません。

犬たちとの出会いは

「私たちに足りないものを犬が教えに来てくれている」ということです。

だからこそ、「理想と違うから」と思えば思うほど、私たちの「理想」を見直すいい機会なのです。

スピリチュアル的に見たら、犬は肉体に執着しないそうで、自らの役割を終えた、または力足らずだと思ったらすぐ次のステージに行ってしまうそうです。

犬を飼うということは、実は私たちが選んでいるようで、お互いに引かれあって出会っています。

我が子に不満があればそれだけ我が子が訴えかけています。

その声を代弁するのが私たちドッグトレーナーであり、私たちの声を届けるお手伝いをするのもドッグトレーナーです。

今一度、我が子と先入観なしで向き合ってみましょう。

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