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3児を抱えるドッグトレーナーの犬について考えるコラム⑤「わが子のため」とは、について考える

コラム

私たちは日頃様々な事情を抱えながら生活をしています。

それは、ドッグトレーナーという仕事をさせて頂いておりますと具に垣間見えるものです。

他ならぬ私自身も、妻とお腹の子供が危険な状態にさらされたり、勤めていた会社を退職せざるをえなかったりと、言い出せばキリがないほどに様々な経験を経て現在に至ります。

どんな状況でも、私には「愛犬」と「子ども」がいたわけですが、私たちの苦境や困難などは彼・彼女らには関係がないのだということも経験してきました。

「親」「飼い主」という経験をすると、「愛犬」「わが子」を抱えることになるのが私たちの宿命。

私たちの愛する「愛犬」や「わが子」が幸せに生きてほしいと思うのは当然のことでしょう。

では、その「愛犬」と「わが子」 にとっての「幸せ」とは?

我々は本当にそれをわかっているのでしょうか?

私たちは「親」であり「飼い主」である

どんな経緯があろうとも、私たちは家族を迎えました。

ペットショップで偶然に出会った愛犬であろうが、誰かが飼っていた魚の飼育をすることになろうが、授かるとも思っていなかった子どもであろうが、迷いこんできた動物の面倒を見ようが、私たちはその「命」を背負っています。

まずは、その「命」の灯を消さないこと、それこそが「命」を請け負った私たちがすべきことであることは間違いがないでしょう。

そのために、人間・動物に関わらず医療に従事されている方、栄養学等を基に食事指導をされている方、グルーミングについてのアドバイスをされる方、など様々な方々がサポートをしてくださっています。

「わが子」は何を思い、感じているのか?

そんな目に入れても痛くないほどの「わが子」を私たちは命を賭してでも守っていく覚悟ですが、当の本人たちがそれを受けてどう感じているのか、どういう世界を見ているのかは決して無視できない問題です。

私たちの子どもも愛犬も、親や飼い主が教えた通りに育ちます。

得てして
「良くないんだけどな~」
と思ったことを真似したりします。
良くない言葉遣いとか、面白いと思ってふざけた行動とか。

「愛情」をもって接しているのに、受け取る側の「わが子」が、その通りに行動してくれるとは限らないものです。

それらすべてを含めて、私たちの子は、私たちのことを真似て、学ぶのです。

私たちが教えたことが「わが子」の’幸せ’に繋がっているか

愛するわが子のため、私たちは全力を尽くします。

金銭的余裕がなくても必要のなものは買い与えるし、時間的余裕がなくても睡眠時間を削って尽くします。

必要とあらば、怒ったり、褒めたり、慰めたりします。

でもそれはあくまで「私たち」が主体で考え、行っていることであって、それがわが子の幸せに繋がっていることではないかも知れないという可能性もあります。

極端な事例を挙げると、

「ストレスを感じないように自分が思ったように好きにしなさい」

と育てられた子が、実際に社会に出たら「自己中心的」だと批判されてしまうといった事案があったとすると、その子は親・飼い主に言われたとおりに自由奔放に生きてきたのにもかかわらず、社会からは「自己中心的な子」とレッテルを貼られてしまうのです。

この場合、この子は「信じていたことに沿って行動していたら批判された」と勿論落ち込みます。

何が悪かったのか、と。

「わが子のため」とは?

愛犬にしろ子どもにしろ、私たちはこの社会で生きていくために必要なことを教えていかなければなりません。

もちろん、生涯室内で誰とも触れることもなく、決められた空間で全うするならば問題ありませんが、そうでもないご家庭が多数なのではないかと思います。

この日本の一般的な社会と接する可能性が少しでもあるのならば、その「社会」「わが子」円滑に、誰のストレスもなく進んでいくことを念頭に置いた育成の方法が、ひいては私たちの愛する子たちのためになるのではないかと感じた今日この頃です。

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